福島家庭裁判所 昭和42年(家イ)75号 審判 1967年9月12日
申立人 豊川タミヱ(仮名)
相手方 豊川稔(仮名)
主文
申立人と相手方とを離縁する。
理由
一、本件記録添付の筆頭者豊川タミヱ、同豊川稔の各戸籍謄抄本、家庭裁判所調査官の調査報告書二通および本件調停の経過によると、
(一) 申立人は、昭和三六年五月二九日相手方およびその妻豊川郁子と養子縁組をしたこと、
(二) 縁組当時、相手方は東京で稼働していたが、仕事の都合上、引続き東京に居住し、相手方の妻は申立人と同居し、農業に従事した外洋裁の内職をして家計を助けたが、縁組後一年位して相手方は福島市役所に勤務することになつて、家族揃つて生活できるようになり、相手方とその妻との間には、長男昌司(昭和三六年六月一三日生)長女美香子(同三八年三月一八日生)が出生したこと、
(三) ところが、生活が苦しかつたため、相手方とその妻とは、福島市内のキャバレー第一クラブで働くようになつたところ、相手方は、その妻が客に接している姿をみて、猛烈に嫉妬するようになり、妻を殴つたり、蹴つたりするようになつた上、さらに、酒色に耽けるようになり、家計を受持つ妻に金をあまり渡さなくなり、申立人は相手方の妻に扶養されていたこと、
(四) そればかりか、相手方はその勤務先から借金したり、申立人所有の飯米を無断で持出して売却したり、他の女性に妊娠させ、その中絶費用八、〇〇〇円を妻に都合させたりしたため、妻は同四一年八月一八日二人の子供を連れて、実家の岐阜県に帰つてしまつたこと、
(五) その後、相手方は申立人と一緒に生活するようになつたが、相手方の生活態度は従来と同様であり、同四一年九月二一日に家計費一、〇〇〇円を出した外今日まで一銭も負担したことがなく、そのうち、外泊が多くなり、遂に同四二年二月一二日申立人方を出てしまつたこと、
(六) 申立人は、明治三八年三月七日生の老齢で、働くことができないため、申立人所有の僅少の田、畑を親類に貸与し、米、野菜を貰つて生活しているが、電燈料未納で電燈を止められ、その他農協、税金等の不払五、六万円、家の改造費用等関係人多数に対する支払に窮し、飯米もあと一斗位しかなく、いまの生活に不安を感じていること、
(七) 相手方は、同四二年四月二六日の第一回調停期日には、申立人にその扶養料を出すことにつき考慮を約したが、その後の二回三回の調停期日には無断欠席し、同四二年五月三一日の第四回調停期日には、先に約した考慮を撤回してしまつた、そして結局当事者間で、相手方の妻と共に申立人と離縁することにして進行したので、当裁判所では、妻の所在地の岐阜家庭裁判所に嘱託し、申立人との離縁の意思を確め当裁判所に費用の点で出頭困難のため、養子離縁届書に署名して申立人に送付させたが、その後の五回六回の調停期日に、相手方は、出頭勧告にもかかわらず不出頭であつて、しかも、絶対に家庭裁判所には出頭しないとのことであること、
が認められる。
二、してみると、前記認定の事実の経過のもとにおいては、相手方において申立人と円満な養親子関係を継続する意思を欠き、申立人を蔑ろにし、申立人を悪意で遺棄したものと認められ、かつ、養子離縁については、養子夫婦の一方だけで離縁できると解するから、調停委員の意見を聴き当事者双方の離縁の審判をすることが相当であると思料し、家事審判法第二四条に則り主文のとおり審判した。
(家事審判官 早坂弘)